ユタ

2004年3月8日 日常
占いに人生を相談しようとするとき、おそらくヒトは弱っている。

会社のO氏は、ユタに人生相談を持ちかけるとき、そういっていた。
誰だって、考え、悩み、どうしたらいいかわからなくなるときがある。
結果的に、占いや神頼みしたくなるときもある。
ココロが衰弱するとき。

あなたはありませんか?
僕には、あります。
ココロが衰弱して、自ら考えることを放棄したくなるとき。

きっとそんな時、救いとしての宗教や、占いに人は駆り立てられる
のかもしれません。

軽蔑も、偏見もありません。
ただ、結果としてたちなおってほしいということ。
いつの日か、自分ひとりで考えられる日がくることを忘れないで
ほしいということ。

つまり、神頼みも、一種のお薬にしかすぎないんです。
それで元気になれれば、いいじゃん。
でも、常時使うもんじゃないよ。

はぁ、最近、うちの事務所の人、フコー菌かも。

ハルヨ コイ。

移動日

2004年3月7日 日常
気が付けば、なにかと忙しい日々である。
いままで見えてなかったものが、いろいろ見えている。
それは、主に、「ヒトヲダイジニスル」ということ。
自分の人生と接点をもつ、全ての「ヒト」に対して。
ぼくは、今まで、すべき感謝をしていなかった。
恥ずべきこと。

楽しい思い出いっぱいだった関西を後にして、関空から那覇へ。
さあ、日常が始まる。
でも、いろんなひとからもらった元気を、感謝を、積み重ねて、
僕も充電できた。

最近、人生、楽しいね!
ない。
ない。
ない!

僕の、手帳が、忽然と姿を消した。

なくしたとき、初めてダイジであることに気付く。
仕事のスケジュールがいっぱい。
ダイジなメモもいっぱい。
貴重なアドレスものってる。
手帳自体が、お気に入り。

いつもそう。いつも近くにありすぎて、あたりまえすぎて、それが
ダイジであることに気付かない。無くなってから気付いても遅い。

その日の行動を振り返る。
同じ道順をたどる。
考えられる場所は、全て探した。
思い当たる場所には、電話で問い合わせた。

でも、見つからない。

こんなときは、全く仕事になりません。
手帳のことで、頭がいっぱい。

はぁ・・・。

結局、はかどらない仕事をおえるころには、事務所に
一人きり。

戸締りをしなきゃ・・・・と思ったら・・・・
部屋のカードキー、手帳の中だ。
もう、最悪。

結局、先輩のT氏の家にうかがって、カードキーを借りて、
戸締り。

会社を出てからも、悔しいからその日の足取りをもう一周。
でも、見つからない・・・・。

残念。明日は警察に出頭だ・・・。

夕食買って、車を駐車場において、お家でふてねしよう・・・
というその時!

あった!
あった!
あった!!

助手席の、シートの下。
車内を探したときも、暗さで気付かなかった場所。
僕の、愛する手帳!

OH MY 手帳!
I LOVE 手帳!   (← おバカ)

って感じ。

もう、とおぉぉぉってもHAPPY!
一気にハイテンション!

きっと、そんな感じ。
人間は、特に僕は、単純。

皆さんの、幸せの基準はどこにありますか?

絶対評価をするならば。

今日の始まり    0
手帳が無い   ー100
手帳発見    +100

って、感じ。今日の始まりも、終わりも、状態としては
同じなのに、結果としてHAPPYになった。

あら、ステキ。
あら、フシギ。

なくしたもの、ありますか?
たいせつな、ものですか?

オメデトウ!

見つけたとき、あなたはもっと幸せになれる。
いままで持っていたのがあたりまえだと感じていた、
失う前の自分よりもね。

はぁ、でも、よかったぁ。
ほっとした。
今日も、快眠だ!

故郷

2004年2月25日 日常
夕食を共にしたのは、高校時代、数学を習っていた先生。
楽しい時間だった、涙がでちゃうほど、発見の連続だった。
心に、すうっと、しみこんでゆく。
過去が、ふわっと、浮かんでくる。

先生は、沖縄出身。
そう知ったのは、最近のことだ。習っているときは、沖縄出身で
あることすらしらなかった。

高校卒業と共に沖縄を離れ、僕の故郷である沼津に住んだ。
現在67歳。僕の実家とは徒歩30秒。
奥さんは美容師で、僕の母親もお世話になっていた。
その朴訥でおおらかなしゃべり方は、今思い出せば、いかにも
沖縄人らしい。授業中、いつもお酒を飲んでいたなぁ・・。

ああ、思い出した。寡黙な先生が、珍しく冗長になっている瞬間。
TVで、「私は貝になりたい」を、放映していた時だった。
今思えば、先生も、沖縄での経験を反芻し、重ね合わせていたのか。
時間と、場所と、人間と。今振り返って、過去の事実を知ることは、
いかに劇的なことであろうか。

おそらく、先生は沖縄にコンプレックスを抱いている。
「こんなところにとばされて」等々。
僕は、こころから楽しんでいるのに。
「つらい状況なのに、いつも前向きで、プラス思考でえらい」
チガウ。ほんとに、いいところなんだってば。
「あなたはいままで苦労なく育ってきたけど、今が修行のときだね」
NO!いまも、苦労なし。楽しくて仕方の無い毎日。
でも、いままで苦労なく育ってきたのは事実。我が家を知る先生が
いうのだから、事実。

「いま、悩み事はあるの?」
と聞いた先生。
「皆無」
と即答した僕。
幸せは、幸せと信じることから始まる。

僕が生きているのは、現在で、現在の感情が真実で、過去の歴史は
事実でしかない。過去の上に現在は積み重なるが、僕の目には、
現在の沖縄しか見えない。もちろん、過去の沖縄の歴史から
目をそむけるわけでもない。偏見を持ちたくない。プラスにも、
マイナスにも。あらゆる歴史については、ただ、事実を知りたい。
真実は知りたくない。

「ご近所づきあい」という意味では、僕以上に僕の家族のことを
知っている先生。
「あなたのお父さんは、とっても気さくで、やさしくて、おおらか
な人。」
という言葉に、絶句した。厳しい、父の姿が、頭に浮かんだ。
そういえば、他人から父の評判を聞くのは、初めての話。
僕は、両親から、いいところばかりをもらったと思っている。
まえむき、真面目、一生懸命、やさしさ、おおらかさ、素直さ。
あらゆるプラスの要素全てが、両親から授かったものだ。
でも、やさしさは、父からのものではないと思っていた。

いまだから語れるタネアカシ。「あなた(僕)の出す問題が
解けなくて悔しかった」。
そう、数学の楽しさに、美しさに目覚めたのも、この時代。
数学の解法に「エレガント」という表現を用いたのも、
この先生。
この時代、この人と出会えてよかった。

なんだか、涙がとまらない、そんな日。
過去の自分と、現在の自分と、家族と、高校時代と、沖縄と、
沼津と・・・。
いろんなものが、ぐるぐるまわって、答えは出なくて。

いい、刺激。
いい、時間。

先生は、笑いながら帰っていった。

振り返れば、僕の歴史に、出会ったことを後悔する人がいるだろうか。
出会わなければ良かった人なんて、一人もいない。
いや、むしろ、自分の人生と、一瞬でも交わった、通り過ぎた
すべての人に感謝しなければならない。
全ての人が、僕の歴史を形作っている。
素晴らしい、僕の、人生を。

あ、今もまた、大学時代の親友からの電話。

ありがとう、ありがとう。
みんな、ダイスキ!

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